2011/03/20

「ACの広告頻発に抗議」という想像力のなさ

我が家で今、ブームになっている「あいさつの魔法」。
公共広告機構によるCM。
とっても可愛くて、このCMを耳にすると娘たちは大喜び。
我が家の娘たちはほとんどテレビを見ないのですが、
震災のニュースの合間に最近よく流されるので、すっかり憶えてしまいました。

それにしても驚いたのは、ACの広告が多すぎるという抗議の声があるということ。
ACがCMを買いあさっているなどという誤解も多いとか…。



災害時に企業がCMを自粛したり、あるいは臨時番組編成として報道番組を放映する以上
通常のスポンサーに基づく制作ではないのは当然なわけで、番組展開の都合もあって
穴を埋めるACの広告が利用されているのだろうということくらい想像できないのだろうか。

公共広告機構がお詫び文を発表して、最後の「エーシー♪」を消去したバージョンを
制作するというけれど、どうしてあやまる必要があるのかと思ってしまう。
(責められるべきは同じ種類の広告を工夫なく繰り返し放映した放送局の側では?
五十歩譲って、そういう放映状況を放置した責任がACにあると言えるかもしれませんが。)

そういう抗議をする大人こそ「あいさつの魔法」にかかってほしい。
「『思い』は見えないけれど、『思いやり』は誰にも見える」っていう宮澤章二の言葉や
金子みすゞの詩をかみしめてほしい。

今起こっている状況が何によるものなのか、
そしてそれは何に繋がっていくのか。
想像力を働かすことのできる私たちでいたい。



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